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新国立劇場バレエ団「パゴダの王子」(3)千秋楽:新国の未来のためのレパートリー

今更、引き続き。






6月15日、千秋楽です。
あらすじはこちらの特設サイトで。

12日初日のミニトークでビントレー監督が「アラジンやパゴダの王子は、バーミンガムやヒューストンでも上演されたが、この新国のメンバーとともに作り上げたこれらの作品は新国のレパートリーであり、そして観客のみなさんのものだ」と言ってくれました。

この千秋楽、そしてビントレー監督での最後の公演となったこの日の舞台はまさに「ビントレー監督と新国のダンサーが作り上げた」作品に対する、その思いすべてがこもり、あふれていた、そして客席はビントレー監督とダンサーさんへの感謝の年を送り続けて幕を閉じた、感動的な舞台だったと思います。
一つの歴史を見届けたような、そんな気分です。

開演時間5分前に、福田道化が幕の間からひょっと顔を出して、実質上そこからもう舞台は始まっています。
「わー、福田君近いー!」と思うのは、この千秋楽でビントレー監督最後の日に、ちゃんと1階席でお礼の拍手を送りたかったからです。
いやぁ1階、近いわ、ほんとに(笑)

キャストは初日と同じ、小野&福岡の姫と王子に、山本皇帝、湯川エピーヌ。
福田道化に4人の王が八幡、古川、マイレン、貝川さん。
実は後で知って愕然としたのは宮廷官吏の小笠原君、バリの女のさいとう美帆さん、千歳さん、竹田さん等々もこの日が最後。
なんといろいろ思いのこもった舞台であったことか。

とにかく舞台のクオリティは初日以上に素晴らしかったのは、「最後」という気合い・気迫と思いゆえでしょうか。
1幕の妖怪たち、2幕の星、雲、毛ガニにタツノオトシゴ、炎もバリもなにもかも動き一つひとつが普段以上に渾身です。
山本皇帝にひとり付き従う福田道化、一挙手一投足に皇帝への尊敬と愛情があふれていて泣けます。
山本皇帝の高貴さ、気品、存在感と力強さはここにもう極まれり。
3幕のフィナーレに近づくにつれて、こちらももうこみ上げて来るばかりです。

特に最後の最後、フィナーレのあの高らかな、物語を締める祝祭と未来への賛歌のような踊りの一連のシーンは今でも目に焼き付いています。
「いよいよ、とうとう、終わってしまうんだ」という寂しさとともに…。

桃色と浅葱色の新貴族が足をぐるっと振りあげるたびに、衣装の袴がまるで花が咲き乱れるように広がる。
あの音楽に乗せて、次から次へと沸き上がるように咲く大輪の花々は、国の新しい歴史の幕開けを祝う、立て直そうとする人々の歓喜と希望と強い意志のようにも感じられます。
賛歌です。
すばらしいアンサンブルです。

その間を小野&福岡が手を繋いで階段を上がっていき、その途中、階段に座ってる福田道化の頭を福岡王子はぽーん!とたたいていきます、繋いだ手で。
もうここでこういうことする余裕というか、それだけみんな舞台の上で自然に呼吸をしているのか。
微笑ましくてまた泣けます。

降りしきる花吹雪のなかで天を仰ぐ小野さん、福岡君、そして山本さん。

ビントレーさんの時代に大きな歴史を作り上げ、またダンサーとしての新たな道を歩みつつある3人の姿が最後に真ん中にあるのは実に象徴的です。

彼らのこみ上げてくる、おそらく万感の思いがひしひしと伝わってきます。
こんな心がこもり舞台と、おそらく舞台裏にいる方々のすべての感慨が一体となって伝わってくるフィナーレはそうお目にかかれるものではありません。
また観客にとっても実に感慨深いものがあります。

いつまでも拍手していたい。
この感動の時間がこのままずっと続けばいいのにと、どれだけ思ったことか。

でも、幕は降ります。
そししてまた開きます。
「さよなら」と「ありがとう」と「また会いましょう」を言うために。
なによりまた次の舞台を開くために、開けるために。

カテコは妖怪さんたち(とうとう出た!)や、控えのダンサーさんたちをはじめずらりと一同が並び、ビントレー監督に小野さんが花束を贈呈。
1階客席はスタンディングオベーションでした。

ありがとうの言葉しか出ません。
そして新国のダンサーさんたちはいつまでも挑戦を続けて、またすばらしい舞台を見せてほしいと、今切に思います。
ビントレーさんが残してくれたこのパゴダの王子、アラジン、ペンギン・カフェやカルミナ・ブラーナなど数々の作品は新国の宝物です。
毎年必ず何かひとつは上演を続けるべき作品だと思います。

そしてこの前向きですばらしいダンサーさんたちが、常に挑戦を続け、力一杯踊れるカンパニーであってほしいと、願ってやみません。
本当に。
祈るような気持ちで、切に思います。
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by kababon_s | 2014-10-27 03:04 | 新国立劇場バレエ

新国立劇場バレエ「パゴダの王子」(2):強き姫とひたむきな姫

引き続き今更w




パゴダの王子、セカンドキャストの米沢&菅野組、そしてサードキャストの奥田&奥村組。
6月14日、マチネ&ソワレの連続で、さすがに疲れました。
中身が濃厚なだけに、終わった頃はヘロヘロです。
あらすじはこちらの特設サイトで。

●ひたむきなさくら姫

まずマチネは奥田&奥村組。
奥田花純さんはこの日が全幕主演デビューです。

以前「ファスター」で急遽主演になったとき、非常に正面から役に取り組んでいて好感度大でしたが、このさくら姫も、小野・米沢さんとは違った、奥田さん自身の役作りをしてきたのでは。
正面から役をとらえ、彼女自身で考えたであろう姫は実にひたむき。
目の前の課題に正面から逃げずに全力で取り組むというような、おそらく今の奥田さんそのものを体現しているかのようです。
目の前の道をただ、自分の足で懸命に歩いていこうというような姿には涙が出ました。
身の丈の姫です。

また奥村王子、思っていたとおりかわいらしい兄妹でバレ友さんの「安寿と厨子王」がめちゃくちゃツボりました。
さわやか系のかわいい兄ちゃんで、すごく年の近い、いつも一緒に手をつないで遊んでいたような、双子のような兄妹という印象です。
いつも一緒にいた片割れがある日突然いなくなってしまった、そんな感じでしょうか。

そんな兄妹だからこそ、あの記憶のシーンはまた違った味わいがありました。
「孤独な子供たち」という事前のPRキャッチに一番合っていたのはこの2人だったかも。

この回は隣の席がお父さんと小学生くらいの娘という珍しい親子連れだったのですが、この記憶のシーンでお父さんがどうやら目水鼻水状態(^_^;)
3幕全てが終わったとき、娘が「お父さん!おもしろかったね、お父さん!」といっていたのが実にほほえましかったです。

またエピーヌが悪役デビュー(笑)の長田さん。
彼女もまた湯川さん、本島さんとは違った、なんというのかエロかわいい魅力のエピーヌです。
いいですね。
踊りはさすが!という感じで安心して見られますし、以前の公演でさくら姫を踊ったからこそのエピーヌという感じです。

北の王がこの日が唯一の登場の江本さん。
安定した忠実な踊り、というのでしょうか。
もっと出番があっていい人かと思うんですが、いやいや、新国で役を得るのは大変です…(^_^;)


●兄ちゃんより強いぞ、さくら姫

ソワレの米沢・菅野組。
この回は総じてセカンドキャストで、皇帝も4人の王も道化も変わります。

菅野さんは王子もいいのですが、キャラがお兄ちゃん寄りなので(レスコー役は実によかった)、このパゴダの王子役は本当にあっています。
堅実な優しい、穏和だけどやるときはやるお兄ちゃんです。

また米沢さんがきりりと筋の通った、誇り高き一人娘であり姫様。
そんな妹を優しく見守る兄ちゃんっていうのでしょうか。
こういうお兄ちゃんだから、おとなしめな子供時代も容易に想像できますし、だからエピーヌにあっさりトカゲにされちゃったりという顛末もよくわかる。

米沢さくら姫はとにかく強い。
エピーヌに対しても継ではあるが母として敬意を払いつつも、姫としての誇りをしっかっりもっている。
1幕からすでに由緒正しき姫(お嬢様)VS継母です。
結婚の拒否も実にきっぱりしている。
それでいて、パパは大好きで、トカゲとともに旅立つところの間などはすばらしいですね。
あの病気がちのお父さんを置いていくのか、という心の迷いが伝わってきます。
それでも自分の意志を貫き、旅立っていくその決意。
彼女の物語世界は実におもしろいです。

後ろ髪を引かれながら、もう後戻りはできない覚悟の第2幕。
自分の世界に、ひょっとしたら兄様がいなくなって初めて自分の世界を持つことができた姫は、妖怪さんと楽しそうに手をつないだり、タツノオトシゴたちと一緒に踊りたくなったりと、実に表情が豊か。
かわいいです。

記憶の場面は、米沢&菅野組だけがシンクロせず、ずれた感じだったのですが、これはそういうふうにしたのか、子役が合わせ切れなかったのかどうなのか。

3幕はまさに米沢さくら姫炸裂。
正体を現した4人の王が襲いかかってくるシーンは不思議なことに、この4人の王も化け物だったのか?と思えるから、キャスト違いは楽しい。
そして米沢さくら姫は真ん中で陣頭指揮です。
お嬢様、司令官です。
「落ち着け、皆の衆」といわんばかりに、あわてる新貴族たちを鎮めます。
新貴族に守られながら兄と4人の王の戦いを見守り、だけど参戦する小野&奥田さくら姫とはここで性格が完全に分かれます。
なんか兄ちゃんより強そうな、おてんば姫です。
これはこれでいいですね。
こんな兄妹だってありでしょうから。

この日はエピーヌが本島さんでしたが、目元のメイクを変えた本島オリジナルがよかったです。
そして踊りも特に2幕は尻上がりにパワー炸裂。
あの炎はすごい!
鬼気迫る感じです。
このエピーヌという役は早変わりに次ぐ早変わり&踊りまくりで本当に大変な役だと思いますが、これを踊れる人が3人いるっていうのもまたすごいです。

皇帝がマイレン。
初演に続き2度目ですが、やはりこのマイレンさんはすごい。
この皇帝も3幕は息子に続いて娘まで失いぼろぼろなうえ、家臣にからかわれ、しかしキリリと立ち直り、最後は息子娘とともに戦うのですから大変です。
でもさすがのマイレンといいますか、正体を暴かれしなだれかかる皇后を振りきるところなど、その心情の細かいところまでしっかり見せてくれます。
彼なりの円熟の味わいがあります。

またこのセカンドキャストの道化、高橋君が、福田君とは違った風味で場をわかせ好感。
しかも皇帝大好きです。
皇帝大好きな思いがとっても伝わってきて、あのオバQメイクがどんどん愛らしく感じられます。

4人の王は福田、輪島、小口、宝満君。
この日同行していた妹が、福田北の王を見て「この人みたことある気がする」。
実は以前あの「くるみ」を一緒に見たことがあるんですが、その時のトレパックが福田君でした。
やはり彼のあの驚異の身体能力はインパクトに残るのかもですね。
輪島さんの東の王はどこかしらパワーも感じられます。
イケメン小口君はスターズ&ストライプスが妙にハマってるし、宝満君も堂々としたアフリカン・パワーです。

とにかく3人のさくら姫もとい、3キャストの舞台はそれぞれ味わいが違い、ダンサーさんの個性がうまくかみ合いすばらしいものでした。

最終日、千秋楽は「特別」な舞台でした。
それはまた別に。
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by kababon_s | 2014-10-27 02:58 | 新国立劇場バレエ

新国立劇場バレエ団「パゴダの王子」(1)初日:日本バレエの金字塔

論外な今更的記録ですが、せっかく原稿だけはあったので、上げときます。
内容はもう書いた当時のままで(笑)
相当アチチです(笑)
今の状態で書き直そうと思えばできないこともないけど、これはこれでいいや、と投げたり。
でも心に強く印象に残ってる舞台って、4か月たっても覚えているもんですね。





新国立劇場バレエ団「パゴダの王子」。
今回は6月12日初日、14日のマチネ・ソワレ、15日千秋楽を鑑賞しました。
新国のバレエ団のレベルを引き上げ、日本人のバレエのおもしろさ、独特さを教えてくれたビントレー監督任期最後の公演です。

●ビントレー監督の贈り物

「『パゴダの王子』『アラジン』を新国立劇場バレエ団のために作り、両作品とも英国のバーミンガム、『アラジン』はアメリカのヒューストンやシカゴでも上演されたが、やはりこれらの作品は新国立劇場バレエ団のものであり、また観客の皆さんのものでもある」

これは12日公演終演後のビントレー監督のお話ですが、多分この言葉が今回の公演の、そして「パゴダの王子」すべてを表していると思います。

着物の衣装や浮世絵の背景、妖怪やタツノオトシゴ、さらには毛ガニといったゆるキャラたち。
日本文化や日本のメンタリティを随所に取り入れた日本のバレエを、ビントレー監督は残してくれました。
そしてこれをメンタリティの部分までしっかり演じることができるのは、本家たる新国だと、やはり思うのです。

また「パゴダの王子」という作品自体は英国の20世紀の作曲家、ベンジャミン・ブリテンの音楽をもとにこれまでも英国の名だたる振り付け家によって舞台化されたものの、今一つ評価の芳しくなかったという歴史があります。
ビントレー監督はこれを新国立劇場での監督を引き受けた際に、成功させようと考えていたとのこと。
日本に来て見た歌川国芳の展覧会で長年暖め続けていたプランに具体的なイメージがわいたところ、あの日、日本であの震災を経験したことも含め、一気に形になったという話です。

初演は2011年――あの年の秋でした。

英国で生まれた「パゴダの王子」は、元々の恋人話から兄妹と父親の家族の話に設定し、家族と国の再生というメッセージを込めた日本へのオマージュ、日本文化をベースにしたファンタジーとして「再生」されました。
あの年に、日本へのエールをこめて。

ですからまさにこの作品はビントレー監督の贈り物です。
バレエ団はこの贈り物を生きた芸術として育て、また観客はサポートしていっていこそ、永遠に残る「名作」となり、ひょっとしたら100年後は「古典」といわれる作品になる(かもしれない)としみじみ感じました。

●ビントレー監督トークショー付きの初日

さて。

初演は2011年のあの年だったという背景もある「パゴダの王子」ですから、当時は見る方としてもかなり“異常な”精神状態でした。

それから3年を経て再び会うこの作品を、見るまでは果たしてどう感じるのかという期待とともに、一抹の不安のようなものも抱いていました。

開演ほぼ駆け込みでしたが、開演前の舞台で手品やパフォーマンスを披露し客席と絡む福田道化を見た瞬間に感じる「ああ、パゴダの舞台に来たんだ」というほっこり感はいいですね~。
この道化が開演前から幕がおりるまで、地味ながらずっと舞台を支えています。
すてきな役です。
ファーストキャストは福田君ですが、初演時の元祖道化の吉本さんとはまた違った、福田道化的味わいでパフォーマンスで客席を笑わせています。
オケピも巻き込んでいます。
Kマークのスマホでここぞとばかりに写真を撮りまくる道化、どこかにUPしろよ、と思ったりw

で、パゴダ。
やはり傑作です。

監督の思い、「共に作った」という新国ダンサーさんたちの思いがこめられているし、やっぱりなにより、ともかく面白い。

あらすじ等は特設サイトをご覧いただくとして。

初演時に「どうよ」と思っていた部分がそんな気にならなかったのは細かいところで変更等手が入れられていたからでしょうか。
4人の王もエピーヌが滅んだと見るや、いきなり牙をむいて襲いかかってくるあたりの豹変ぶりも見事です。

そしてダンサーさんたちの熱のこもった踊りはもちろんのこと、キャラの台詞が聞こえてきそうな演技はさすが新国!としかいえないですね。
この踊り+αの演技力が、どれだけ新国の舞台を奥深く、面白くしていることか。
またそれぞれのキャストがそれぞれに考えて役を作っているから、どの同じ演目でもキャストによってぜんぜん違う面白さがある。
実にダンサーの層が厚いです。

舞台セットも英国世紀末田園風のモチーフをあしらった額縁のなかに日本の歌川国芳にインスパイアされたという浮世絵のモチーフの背景の美しさとエキゾチックさ。
着物をベースにした衣装はやわらかくて上品な、優しい和の色です。
原色テラテラの赤や紫といった、「外国人の見た日本の色」とは明らかに違う、萌葱や桜、浅黄に渋茶といった和色です。

また歌川の浮世絵から出てきたような着ぐるみの妖怪さんたち、ラブリーなタツノオトシゴに怪しく美味しそうな毛ガニといった生き物たちの愛らしさは、日本人の「ゆるキャラ」文化のツボをつきまくっています。
しかもその「中の人」にはプリンシパルクラスもいるという贅沢さ。
「しっかり踊れる人」がゆるキャラ軍団の中に入ってることで、彼らが余計生き生きと、キュートに見えるのですね、きっと。
しかし一体、特に新国の男性陣はこの舞台で何役やってるんだろうと思いますが。
奮闘です。

2幕、深海のシーンで前回の半魚人が毛ガニに変わっていましたが、この毛ガニがまた怪しくていや~んという感じで、なにげに動きがエロくていいです。
おカマの毛ガニみたい。
ビントレーさんの居酒屋へのオマージュ…なんて考えすぎかもですが、こっそりウィットをしのばせる人だからなぁ。
「居酒屋 巴醐駝」なんて想像してしまいます。

またガムランをオケで再生するというブリテンの野心的な音楽を生で聴く機会なんてまずありません。
そんなこんなで見所聞き所豊富な舞台は、休憩含め3時間弱の3幕舞台があっという間でした。

踊りの方は、「この2人をイメージして作られた」というファーストキャストの小野さん(さくら姫)と福岡君(王子)で、実に凛と芯の通った兄妹です。

普段姫&王子で踊るダンサーさんが主演を恋愛を抜いた「兄妹」で演じるというのは、これはよく考えてみればかなり難易度が高いのではないのでしょうか??
マイム等々、愛情表現の演じ方がいつもと――つまり身体に染み着いている「姫&王子」とは違う訳ですから。
手を差し出す仕草一つとっても、普段の「王子」じゃいかんのです。
お兄ちゃんでなければならない。
一つ間違えば禁断の恋(笑)で、逆にイヤラシさ炸裂になってしまう。
実に難しいですね。

でもそこはさすが小野&福岡で、絶妙な距離感です。
小野さんもメイクが恋人姫の時より地味目で、さくら姫の素朴さがかえって強調されていい感じです。

この2人、特に2幕のパゴダの国の王子登場から記憶の場面は特に素晴らしかったですね。

兄ちゃんがさくら姫の肩に手をかけて「記憶」を指さすシーンがあるんですが、この時の仕草と眼差しが実にインパクト大。
一瞬の指さしで「お兄ちゃん」なんですね。
肩にかける手も妹に対するもの。
愛情あふれる、「この時を」待っていた兄ちゃんです。

そして美しすぎる「記憶」のシーン。

子役の兄妹の動きと今の兄妹の動きがシンクロして、トカゲが実は兄だと気づくシーンですが、これが最高に美しい。
おそらくこの「パゴダの王子」屈指の、名場面のひとつです。

兄ちゃんにとっては自分を覚えていてくれる人、頼みにできる人はまさに皇帝であるパパとさくらちゃんしかいないんだ、と改めて思わせられますし、そう思うと実に泣けます。

さくらの花にまつわる、兄と妹の絆と幼い頃の「汚れのない」記憶です。
実に幻想的です。
残像が残るような、4人の戯れる踊りが実に美しい。

そしてそこをつん裂くように割り込む湯川エピーヌです。
王子をトカゲに変えてしまう魔女です。
悪役炸裂です。
だけどなんとなく余韻を残すような退場が実に味わい深いのが湯川さんならではでしょうか。

這って舞台を駆け抜けていくちびトカゲが痛々しいです。
道ばたで人間に見つかって「ひゃーっ」と逃げてくリアルトカゲを思い出しますが、ともかく、悲痛です。
あんな小さな子がトカゲに変えられて何年、なにを思って生きてきたんでしょうね…(T_T)
パゴダの女性(まんまバリニーズ)や妖怪さんたち、謎のパゴダ人となにを思って生きてきたんでしょう。
お兄ちゃん、…すごくつらいキャラです。

だからこそ、さくら姫が真実を知った今が復活の時なわけですなぁ。

人間に戻ってエピーヌを追い出した喜びのパドドゥは幼いときに離ればなれになってしまった兄妹が、失った時間を取り戻そうとするかのような、若々しくパワフルで、実に愛おしい場面です。
喜びが炸裂する兄ちゃん。
寂しくても一歩一歩踏みしめ生きてきた孤独な姫が得た安らぎ。
お父ちゃんでなくても泣けます。
お父ちゃんなんてもっと泣けるでしょう。

そのお父ちゃんたる皇帝の山本さんがまた気品があり、実に皇帝。
富士山のてっぺんで病んでいたって気品があります。
3幕は特に病み、(惚れていたであろう)皇后の真実、死んだと思っていた息子との再会、復活と威厳等々、実にめまぐるしい心理状態を演じなければならないのですが、この山本皇帝は実にひしひしとその心の動きが伝わってくる。
素晴らしいです。

山本さんは昨年のドン・キホーテでもしみじみ思いましたが、この人はいわゆる「立ち役」の認識や存在感を変える人ではなかろうか。
それほどまでに演技と存在に深みがある。
王子として新国を引っ張ってきた時代、また怪我等々の苦労や若手の台頭といろいろな経験を積み重ねた山本さんだからこその味わいです。
山本さんはやはり新国の先輩として、大いに舞台と歴史を作っていると感じます。

魔女皇后の湯川さんは、とにかく存在が大きい。
有無をいわさぬ威厳と力に満ちあふれ、そのオーラが放つ魔力をもってして東西南北4人の王を丸め込んだ感じです。
4人の王の誰かとの結婚話を毅然と断るさくら姫に、湯川エピーヌの平手打ちが飛びますが、この初日、実に「パーン!」といういい音(泣笑)が劇場中に響きわたりまして、近くに座っていたオジサマが思わず「おお!」と声を上げていました。
気持ちわかる。
絢子ちゃん、マジ痛かったのではなかろうか。
湯川お姉さまの本気です。

その4人の王はロシアっぽい北の王が八幡君、中国というか弁髪の東の王が古川さん、スターズ&ストライプスの西の王がマイレン、アフリカンで初演時毛がぼうぼうだった南の王は模様入りスキンヘッドに変わり、演じるのは貝川さん。

特にゆったりくねくねと柔軟性(笑)をいかんなく発揮する東の王の古川さんが、なんというか夢に見そうな不思議炸裂というのか、実にインパクト絶大。
妖怪君たちのフィギュアは今でも切実に所望しておりますが、この4人の王+エピーヌのフィギュアもなかなかいいんじゃなかろうか。
フィギュアだと生々しいから、4人の王に関しては3頭身ミニマスコットでもいいですね(^_^)

●監督ミニトーク

12日は終演後に今期この「パゴダの王子」公演をもって任期満了、退任となるビントレー監督のミニトークが行われました。
終演夜10時頃にもかからわず、1階席はほぼ満席だったのではないでしょうか。

またビントレー監督、壇上に登場するのかと思いきや、オケピ前でのお話。
中央前から3列目だったので、ほぼ正面でお顔を拝見できたのはラッキーです。

トークショーはビントレー監督のお話の後、休憩時間に募集した質問状によるQ&Aという形で進められました。

お話はすばらしい4年間であり、新国立劇場バレエ団の監督として携われたことに誇りを感じている。
この4年間でダンサーはすばらしく成長し、この「パゴダの王子」で主役デビューをする若いダンサーも次々と育ってきている。
新国にいる間に「パゴダの王子」「アラジン」という2つの作品をこのカンパニーのために振り付け、両作品ともバーミンガムや、「アラジン」についてはヒューストンやシカゴでも上演されたが、「やはりこれらの作品は新国立劇場バレエ団のものだ」といった内容です(かなりかいつまんでますが)。

またQ&Aは「新国でビントレー作品が見られるのか」「また新国に作品を振り付けてくれるのか」という問いには「はい」という答え。
「一番思い出に残る作品」はやはり「新国のメンバーと作り上げたパゴダの王子であり、それ以上に新国立劇場バレエ団が家族のように大切だ」というところでもう涙腺決壊でした。

デフォルトKYで肝心なときに仕事をしない新国広報&運営ですが、この機会を設けてくれたことには素直に、心から感謝します。
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by kababon_s | 2014-10-27 02:44 | 新国立劇場バレエ

CLOWD/CROWD:CROWDはCLOWDな宇宙の素粒子運動

今更極まりないですが(でももっと今更もまだある)、あげておくのは自分のための記録です(^-^;


8月31日、JAPON DANCE PROJECTのCLOWD/CROWD。
モナコ、マルセイユ、スウェーデンなど欧州で踊る5人の日本人ダンサーによるユニットの公演です。
そして今回は新国立劇場バレエ団から小野絢子、米沢唯、八幡顕光をのお三方をはじめとするゲストが参加して、総勢11人によるダンス公演でした。

実にエネルギッシュで面白かったですね。

事前のWebでのトーク番組を見ましたが、踊りを「言語」とする言葉が何度も語られているのが印象的でした。
つまり主要5人のメンバーがそれぞれモナコやマルセイユ等々で培った経験や個性など、踊りの表現からなる「言語」をぶつけ合い、作り出す世界ですね。

そこに今もクラシックを踊るバレエダンサーが加わり起こる化学反応が非常に楽しみでしたが、まさにCROWDといいますか。

舞台はCLOWD――雲を模した布が天井から掲げられ、それが形を変えながら仕切になったり背景になったり。
1部冒頭、小尻健太さんと一緒に飛び出してきた唯ちゃんに目を奪われます。
彼女の視線はいつも見えない何かを見ているようです。
すごく遠くの何か、誰かを見つめていて、思わずその視線の先の後ろを振り返りたくなる衝動に駆られるんですが、小尻さんとのスピーディーな動きに今度は視線を奪われる。
そこからは次々と現れるダンサーさんたちの踊りの世界にぐいぐいと引き込まれます。
唯ちゃん、絢子さんもすごいと思っていたけど、小池ミモザさんの貫禄のすごいこと!
ミモザ姐御と呼びたくなるパワーと存在感たるや。

ポワントを履いた女性の踊りあり、男性たちのスピーディー&パワフルな踊りありで、エネルギー運動の掛け合いのようです。
クライマックスの11人全員のカクカクと動きながら交差し、離れていく動きは雲の中の素粒子運動であり、雑踏のCROWDでもあり。

1部が終わって八幡君が一人舞台上に立ち尽くしていたんですが、これが実は休憩の間ずーっとそのままという(笑)
八幡君は背中で語る人ですねぇ。

2部が始まりその八幡君がクラシックマシーンというのか、頭、肩、腕を触るとクラシックのバリエーションが流れるという、青柳さんお得意のバレエコント的な仕掛けでしょうか。
このユニット結成のきっかけも、震災の年から2回ほど行われたオールニッポンバレエガラだったとか。
あのガラのLilyがその大元だったそうです。
なるほど。

八幡君が退場した後の2部は主要5人のメンバーによる舞台。

1部の途中から途中から考えるのをやめて、ただただ発するエネルギーになぶられるように見ていましたが、実に心地よい。
雲だった幕が背景となり、その表側と裏側での動きが幕をゆらして、音の波が立っているよう。
水に雨粒が落ちるときの波紋というのか。
視覚的にもなんだか楽しい。

「堕天使が空から落ちて来ましたー!」という日本語の叫びをミモザ姐さんが投げやりなフランス語で訳するところがなんかおかしいのですが、「言葉」もまたダンスの言語のひとつでありましょうか。
堕天使って、最初から墜ちてるだろ、なんて一瞬野暮なつっこみを入れそうになりましたが、それはまあよし。
ともかく彼らは実に自由です。

ラストに使われたのが「僕たちの失敗」、昔のドラマ「高校教師」のテーマ。
世代ネタというのは5人の「世代」の共通言語なのでしょうか。
トレンディ時代の末期の曲は、なんだかノスタルジックです。
幕が開いて6人の若手も登場するが、彼らはこの曲知らないでしょうね、きっと(^_^;)

とにかく縦横無尽に動き回る素粒子のようなエネルギーを存分に味わった公演でした。
これは毎夏の定番にして欲しいと思います。
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by kababon_s | 2014-10-27 02:23 | Ballet

マシュー・ボーン「白鳥の湖」:キャストの数だけ変わる世界

今更ながらマシュー・ボーン版「白鳥の湖」について(公式サイト)。

実は今回の公演が初見。
存在は知っていたが、出張と重なったりでなかなか機会がなく、今回やっと見られたというもの。
だから書くことは、何度も見た方は今更的な内容になるのはご容赦、ということで。
まあ舞台は上演された瞬間、観客の数だけ存在するから、そのうちの勝手な一つです。

ともかく。

2回で止めておくつもりが、結局4回見てしまったのだ。
おそろしや(財布もおそろしや)。
キャスト違いで雰囲気が変わるのはあることだが、このボーン版の「白鳥の湖」はストーリーの骨子も踊りもメイン以外のキャストが同じでも、ザ・スワンと王子の組み合わせが変わるだけで、世界観も含めここまで違ってしまうのかと驚かされる、本当に。

今回見たのはザ・スワン、王子の順で以下の通り。
9月9日 マルセロ・ゴメス&クリストファー・マーニー
10日 クリス・トレンフィールド&クリストファー・マーニー
20日(前楽) マルセロ・ゴメス&クリストファー・マーニー(両者の楽)
21日(千秋楽) クリス・トレンフィールド&サイモン・ウィリアムズ

本当にざっくりと、相当ざっくりと、自分が感じた印象で、ストーリーを述べれば(知ってる方はスルーで)、ボーン版は主人公・王子の心理描写に焦点を当ててぐっと深く掘り下げたもの。
だからオデット・オディールに当たるザ・スワンとストレンジャー(二役)、そして白鳥の群は男性が踊る。

舞台を現代の王室(英国風)に置き換え、機械的で無機質な日常、おそらく未亡人の王妃から十分な愛情を得られずに育った孤独な感情を抱えた王子の心の闇が描かれる。
寂しさを紛らわそうとバーに行けばパパラッチにシュートされ行き場もなく、思い詰めて湖に投身自殺をはかろうとしたところに現れるのがザ・スワン。
このスワンが幻想の産物なのか実在の、リアルに白鳥なのかその正体はそれぞれのダンサー、あるいは見る者によって解釈が変わってくるところだと思う。
明確な解答が一番ない部分かと。

とにかくそのスワンとの魂の交歓のようなひとときを過ごし、王子は生きる気力を取り戻す。

3幕、各国のお客を呼んでの宴だが、そこに現れるのがザ・スワンそっくりのストレンジャー。
女たちの心を一瞬で虜にして、王妃までも落とす。
美しい、生きる気力を取り戻させてくれたあの一時が無惨に打ち砕かれ、極度の絶望で王子は錯乱、幽閉される(あるいは精神病棟に入れられる)。

幽閉された個室に「白鳥」たちが現れるが、彼らは王子とザ・スワンに襲い掛かってくる。
襲ってくる白鳥たちが破れた夢が形を変えたものなのか、白鳥の姿をした黒鳥なのか、それは解釈次第だが、そのなかで唯一、ザ・スワンだけがぼろぼろに傷つきながらも自分を守ってくれる、あるいは自分に寄り添ってくれる。
王子とザ・スワンはともに「白鳥たち」に抵抗するものの、スワンは消滅し、王子も息絶える。
二人の魂は一つになって天に還る。
以上。

何度も言うが、このバージョンが初見だから、その前のバージョンや改訂された部分は知らない。

そのうえで。
このバージョンを見た限りでは、どの回を見てもスワン、そして白鳥は「…のようなもの」に感じられた。
白鳥の姿をした白鳥じゃない何か、あるいは便宜上「白鳥」といっている何か、というのか。
王子の心の写し鏡でもあり、パンドラの箱の一番最後に残っていたもののようにも感じる。

また舞台衣装は白と黒。
王子のいる世界は白であり黒だが、白さえも王子にとっては重荷であり圧力でしかない。
ボーンのすごいところは白黒を明確な善悪ではなく、一つの世界のなかの両極としているところで、白も善悪の中にあり、黒もまた善悪のなかにあり、どちらが善でも悪でもない、と捉えられること。
キャストによってはコインの裏表のようにも思えるが、とにかく短絡的な白=善、黒=悪ではない。

色彩があるのは王妃の紫、赤、そして1幕、2幕のガールフレンドのピンク、そしてスワンク・バーのテラテラな極彩色。
王子にとって色彩世界は異世界、王妃の色彩は「届かないもの」「得られない愛情」か。
ガールフレンドは謎の生きものだ。

しかしこのガールフレンドが3幕以降王子の世界の黒となり、錯乱した王子を止めようとして死んでいくのは実に象徴的。
ひょっとしたら、彼女が一番王子のそばにいたかもしれない…と思わせるダンサーがお見事としか言いようがない。
このガールフレンドは4回とも同じ人だったが、金髪の、およそバレエダンサーとは思えないふくよかな体型。
頭悪そう、育ち悪そう、品が悪そう、でも気だてだけはすごくいい(ように思える)子なのだが、日に日にチャーミングになっていくからすごい。
実にいいキャラだった。

あとはその回によって見えた世界が違うので、個別に。

●9日:異形のものと魑魅魍魎の宴

マルセロ・ゴメスの初スワン。
そしてこちらも初ボーンだったので、とにかく「すごいもの見た」感でただただ圧倒される。
力強く、でも時には優しく、圧倒的な存在のゴメス・ザ・スワン。
超熱演。
一言で言えば「異形のもの」か。
スワンと呼ばれているが、やはり異形、というのが自分的には一番しっくりくる。

2幕湖の男性白鳥たちはスピーディーで力強く、白い人魂が舞っているかのようだが、この時点ですでにゴメス・ザ・スワンが「白鳥」のなかにあってすでに異質。
スワン「だけ」が王子の友であり、白鳥の群は、たとえばムソルグスキーの禿げ山の魑魅魍魎というのか、白とはいえども恐ろしきもののように思える。
あるいはゴメスが初スワンだっただけに、まだアンサンブルに馴染み切っていないだけだったのか?

ともかく「白」も美しいものであるが美しさよりは重圧の方が勝る王子のメンタルがひしひしと感じられる、狂気も併せ持った2幕。
でもザ・スワンにひとかけらの希望を見いだす王子、という感じ。

ゴメス主演で圧倒されたのは特に3幕のストレンジャー。
もうセクシーでフェロモン炸裂で現れた瞬間心臓バクバク(笑)
ストレンジャーが王妃を含めたパーティー会場の女性たちを次々落としていく顛末の、まあなんと説得力のあることか。
一緒に落とされてる気分(笑)
それと同時に王子がどんどん追いつめられていく様が見ていて苦しい。
「もうやめて~」と何度思ったかわからない。

4幕のゴメス・ザ・スワンはまさにパンドラの箱の、最後に残っていたもののよう。
はかない希望が押しつぶされて、昇天していく王子が哀しい。
ただただ圧倒されて帰宅。

●10日:最初からこころの病の世界と身の丈のスワン

クリス&クリスのスワンと王子。
スワン以外の主要キャストは9日と同じなのに、まったく違う世界。
とにかく幕が開いた瞬間から王子はすでに病んでいる。
現実と病んだ精神状態との境目がない。
9日の王子はまだ現実に片足かかっていた感じだったのだが、この日は病んだ王子の精神状態のなかで舞台が進む。
舞台の上の世界も、病んだ王子のフィルターを通して見える世界だ。

クリス・ザ・スワンは細身で繊細そうで動きがとても軽く、精霊のよう。
王子の今にも切れそうな心のようでもあり、圧倒的な力やカリスマ性はない分、身の丈で寄り添ってくれる感じがとても優しい。

その分どうしてもストレンジャーでは弱くなってしまう感じは否めないが(特に前日ゴメスを見ているだけに)、女性たちに投げる視線は時々ドキっとする。
4幕、クリス・ザ・スワンはいよいよ錯乱した王子のなけなしの理性という感じで痛々しい。
自分で脱却する術はないのか、やはり己の繊細な心に殉じるしか顛末はないのか…。
クリス・スワンは分身のように思えるだけに、なんだか切ない。

●20日:圧巻のゴメス&クリス

前楽でありゴメス&クリスの楽。
このペアは初日と楽を見たことになるが、進化の度合いがすごかった。
ゴメスがこなれてまた最後ゆえ全身全霊で踊っている。
なんていい人なんだ。
しかも熱い。
存在感がすごい。
そしてやはりゴメス&クリスの世界の王子は現実世界からどんどん破綻へと向かっていく。

2幕の白鳥の群はやはり魑魅魍魎的ではあるものの、初日のような分離感はなかった。
その分、ゴメス・ザ・スワンが王子の「そうありたい」と願う一番大事な思いの象徴が形になって現れた存在のように感じる。

だからそうなると3幕のストレンジャーが悲痛。
「そうなりたい」と思う現実を体現するストレンジャーが、なんというのか「いや、そこまでしなくてもいいんだ」という部分まで赤裸々に王子に見せつける。
それともきれいなままで理想には辿り着けない、とでも言っているのだろうか。
白から黒の1本線上にある、黒か。
唸る。
「なんでだ、俺がやってるのはお前が望んでることじゃないか」と言わんばかりのストレンジャーの、とにかくいちいち台詞が聞こえてきそうな踊りにはこちらはただ圧倒されるのみ。
パドドゥはもう「オレハオマエダ、オマエハオレダ、オレハ…(以下無限ループ)」
やはりゴメス&クリスの王子はどんどん追いつめられ、壊れていく。

4幕、光と陰の演出効果で、もう黒の部分が王子の心を覆い尽くしているよう。
唯一の「白」の存在であるゴメス・ザ・スワンはゴメスのいい人キャラ炸裂。
やはりゴメスのスワンはパンドラの箱の、最後に残っていたものか…。

●21日:ただ、切なくいとおしい世界

初見ペアのクリス&サイモン。
これが実にすばらしかった。
個人的なフィルターが一番かかった、思い等々一切合切含めて一番琴線に触れたのがこのペア。
人生で出会わなければならない必然の舞台だったと思える舞台は初めてかもしれない。
舞台の上の王子やスワンや王妃もガールフレンドも、登場人物すべてが、また逝ってしまった人たち、残され静かに生きる人たち、これから生きる子たち、寄り添い見守る人たち……みんなみんな、いとおしいと思えた。

体格ががっしり、そしてややプヨり気味のサイモン王子は、敢えて現実的な言い方をするなら自閉症気味の、周囲の重圧だけを背負い、自分の思いを伝える術を知らない(できない)タイプというのか。
現実と自身の折り合いがつけられず、つけることができず、わかってもらえず、「だめな子」レッテルを貼られ、かといってどう伝えていいかもわからない苦しみを抱えているような子だ。
でも「王子」たる現実の、世界で一番重いもののひとつたる責任だけはのしかかってくるのだ。
これは苦しい。

王妃も(おそらく)旦那亡き後、この「困った子」を立派な王に育て上げること「だけ」が使命という、頑なな信念の元に生きている。
だからあえて王子に厳しく接する。
ただただ「立派な王になって欲しい」という彼女なりの愛情だ。
愛情の方向がかみ合わない。
これは不幸だ。

そこに現れるクリス・ザ・スワンは線が細く軽いからこそ、王子の分身のような、自由に、こうありたいと願う王子の、一番美しく、繊細な心の写し身のよう。
このはかなげな繊細さはクリスならではだと思う。
湖での2人のパドドゥは本当に王子の身体からスワンが抜けだし、現れてくるようだった。

2人の一体感が切なく、やさしく、美しい。
多くは望んでいない。
本当にささやかな願いだからこそ、美しくて、泣ける。
もうこのキャストは2幕あたりから泣き通しで、最後まで大変だった。

ストレンジャーは確かにゴメスの圧倒的なフェロモン炸裂に比べれば、クリスは弱いだろう。
でもクリスが舞ったそのあとの空気は、なんというのか、色が変わるというのか。
空気を操るような踊り、というのか。
「舞う」という見えない力で居並ぶ女性たちを虜にしていく。
これがまた妖しい。
ストレンジャーと踊る王妃には、彼女もまた責任と重圧を背負い、孤独で辛く、女としてのよりどころがほしいのだという内面が見て取れて、また切なくなる。

4幕、黒に押しつぶされていく王子がただただ、悲しい。
そしてそれでも王子に寄り添う、王子と優しきザ・スワンの一体感は、弱々しいながらもこの世に自身を繋ぎ止める最後の糸のよう。
必死に最後まで生きようとして互いから目を逸らさず、最後まで一体であろうする、あがき、もがき、しかし敢え無く息絶える…絶えなきゃならなかったのか…。
…やるせない。

そしてラストシーンの、一人の母親たる王妃がまた悲しい。
王妃は4回とも同じ人なのに、この日の王妃が一番悲しく、内に秘めた、出すに出せない愛情が感じられた。
これがボーン版の妙でありすごさか。

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というわけで。
今回はジョナサンのザ・スワンを見損ねたことだけが心残り。
また来日することがあったら、ぜひまた違うバージョンで見たい、ということで。

長々とおつきあい、ありがとうございました。
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by kababon_s | 2014-10-04 20:05 | Ballet