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シルヴィ・ギエム・オンステージBプロ:共に歩むための「サヨナラ」

10月30日シルヴィ・ギエム・オンステージBプロ。
19日に始まった<HOPE JAPAN>を含む東京公演の最終日でした。

あの震災の記憶を抜きに語れない、今回の来日公演。
この問題だらけの日本に訪れ、「共に行こう」という並々ならぬ意志を示してくれたギエムの、東京での締めくくりにふさわしく、また「シルヴィ・ギエム」というアーティストの、とどまるところを知らない無限の“力”を存分に見せつけてくれたのが、この日最後の演目でした。

「アジュー(Bye)」


真っ暗な舞台に、小窓あるいはドアのような白いスクリーン。
モノクロ写真の目のアップが映し出された…とおもったら、それは瞬きをしながら、おどおどとまるで観客のいる「世界」をのぞき込んでいるかのようです。

やがて目は人のシルエットとなり、ギエムが現れる。

ざっくり無造作な三つ編みに、カントリーと言うよりは、田舎臭い、やぼったい服装。
緑の上着にピンクのブラウスに辛子色のスカート…(^_^;)

「どこにでもいる普通の女性」にもなり切れない、あるいはそれを拒絶している女、ともとれる。
それなりに世間と折り合いをつけて生きている女性とも違うように思う。

彼女はのたうち回り、時には腕を振り上げて怒り、足を踏みならし、もがき、喘いでいる。
背筋がシャキーンとしていなければならないはずのバレエで、でも彼女は猫背でとぼとぼと歩く。

時折窓の向こう、スクリーンに人影が映る。
女を見ている男。
でも、自分の思いでいっぱいの彼女は、その影には気づかない。
いや、気づけないのか…。

通りすがりの犬。
彼女は犬には反応を示すが、だが、犬はやっぱり犬。

靴を、靴下を脱ぎ捨て、裸足になってみる。
裸足なら、少しは身軽になれるだろうか。

逆立ちをしてみる。
世界は変わって見えるだろうか。

怒る。
悔しがり、悲しむ。
拳を振り上げる。
逆さになる。
…少しは変わって見えるかもしれない。
でも、やはり世界は世界であり、「そこ」は「そこ」であり、「ここ」は「ここ」ではあるけれど…。

スクリーンに次第に人影が集まってくる。
一人、またひとり。
家族だろうか友人だろうか、それとも近所の人たちなのか、見知らぬ人たちなのか。

やがて彼女は靴下をはき、靴を履く。
そして、スクリーンの、窓の向こうの人々の世界へと、踏み出していく。
一瞬少しだけ振り返り、そして前を見つめて、人の群に、歩を踏み出していく…。

アジュー。

サヨナラ。

「一人の女の心の成長を描いた作品」というけれど、この作品の意味するものは、人それぞれに、また今の日本にとって、とても多様で、辛いものもあります。

一方で「永遠の別れ」を意味する言葉だが、未来へ、前に進むための言葉でもあると、改めて気づかされます。

勇気を持って踏み出すことは、とてもしんどい。
一人で怒ったりわめいていたりする方が楽だ。
でも空しい。

互いに在り合う。
世の中は、世界は、世間はそうしてですることで、できている。

「共にいるために、日本に来た」というギエムの言葉が、思い起こされます。

「古い世界」に別れを告げて、共に、前に向かって踏み出そう、というメッセージでしょうか。

この、大きく傷ついてしまった日本という国に対し、人間・ギエムが示してくれたのは「一歩、前へ進む力」。
その呪文の一つが、「サヨナラ」なのかもしれない…。

そして彼女は間違いなく、こう続けていてくれるのです。
「いつも、いつも共に在ります」と。
そしてそれを実践してくれたのは、今回の日本ツアーや、それを取り上げたTV番組などで、もう十分ご存じでしょう。

素晴らしい、本当に人の心を打つ作品を、パフォーマンスを見せてくれる人は、人間としても素晴らしい。
今回のギエムの公演では、このことを改めて思わせてくれました。
本当に、ありがとう。

by kababon_s | 2011-11-05 01:27 | Ballet